毎年4月1日のエイプリルフールになると、設楽は決まってあるエピソードを話す。
それは設楽がまだ小さい頃、実家で暮らしていた時までさかのぼる。
今聞いても秀逸なストーリーとして語り継がれる『でっかい犬が死んでた事件』について語ろう。
目次
でっかい犬が死んでいる
エイプリルフールの朝。
朝目覚めた設楽少年は母親から衝撃の事実を聞かされる。
「家の前にでっかい犬が死んでたよ」
それを聞いた設楽少年はいてもたってもいられずに家を飛び出して外を確認するが、母親が言っていたでっかい犬などどこにもいない。
不思議に感じながら母親に告げると「エイプリルフール!♪」という言葉が返ってきたという。
そう、設楽の母親は設楽少年をビックリさせてやろうと考え、でっかい犬が死んでいるというウソをついたのだった。
翌年も同じウソに騙される設楽
その翌年の4月1日。
設楽少年は母親からまた「でっかい犬が家の前で死んでる」と聞かされ、ワクワクして家を飛び出るも、またもや母親のウソに騙されたことに気付いたのだった。
全く同じウソに2年連続で騙される設楽少年。
この時のことを、設楽は今でもラジオで楽しそうに話すのだった。
秀逸なウソ
よく考えてみると、この時の母親のウソは実に秀逸な内容だったと語る設楽。
その理由は3つある。
【1】猫ではなく犬をチョイスしていること
もしこれが『猫が死んでいる』だったら、設楽は野良猫を想像し、それほど興味がそそられなかったといっている。
道を歩いていても、たまに野良猫が無残にも路上で死んでいる姿を見かけることがあるが、田舎暮らしの設楽にとって死んだ猫はそれほど興奮するものでもなかったのだ。
【2】犬は犬でもでっかい犬だったこと
猫が犬になったところで、野良犬が死んでたとしてもそれほど興味がわかないが、『でっかい犬』だと途端に関心が出てくるという。
でっかい犬といえば、例えばゴールデンレトリーバーやドーベルマンなど、いずれにしても野良犬ではなさそうにも聞こえる。
『でっかい』という言葉がつくだけで、これほどまでに興味レベルが上がることにも注目である。
【3】死んでいること
そこまで興味津々のでっかい犬が死んでいるというのだ。
- 猫ではなく犬
- 小さい犬ではなくでっかい犬
- それが死んでいる
全ての要素を最大限の価値まで高める『死んでいる』というワードが、とてつもない破壊力を秘めていたようだ。
設楽少年のワクワク心は一気にメーターを振り切り、眠気など吹っ飛んでしまい、張り切って外に出たところでそれがウソとわかる残念感。
上げて上げて落とすというお笑いにも通じる流れが出来上がっていることに加え、これら3つの要素が絶妙なところで絡み合って繰り出されるエイプリルフールの母親のウソ。
今考えてもあれは実によくできたウソだったとしみじみ語る設楽だった。
それがどうしたの?
で、ここまで熱く語ってきた『でっかい犬が死んでる事件』だが、これ以上の話はない。
設楽も当時の思い出を懐かしんで語りはするものの、ここから話が発展することはなく、いつものダラダラとしたフリートークに流れていくのが例年のやり方だ。
バナナムーンゴールドは一応台本は用意されているが、番組の面白さの多くを占めているのは、設楽・日村が語る合間のトークにあるといっても過言ではない。
今回のエイプリルフールの思い出も、そんなトークの一環である。
カイザーとして恐れられる設楽の人間らしい一面が垣間見えただけでも、バナナムーンゴールドファンにとっては楽しい時間となるだろう。